※まえだたかしの個人ブログから、記事を移行しました。
※土田さんは、2021年1月末を持って、NASUを退社されています。


2019年10月より株式会社NASUに2人目のアシスタントとして、土田真巳が入社しました。

土田さんは前田高志が主宰する「前田デザイン室」の出身で、オンラインサロンからの採用となります。今回は特別編として、NASUが3人チームになった理由、土田さんの入社の経緯、今後のNASUについてインタビュー形式で広報担当の浜田が、代表の前田さんと土田さんに話を聞きました。


株式会社NASUの土田真巳です。

土田:土田真巳(つちだ・まみ)です。41歳で元パン屋です。

去年の4月から前田さんのオンラインサロン「前田デザイン室」に入っていて、今年の3月から半年くらい前田デザイン室の運営チームメンバーでした。今年の10月からNASUに入社しました。生まれは東京ですが、2歳の時に千葉に引っ越しているので出身は千葉です。千葉から大阪に引っ越してきました。生ビールが好きです。

入社後にデザイン・アシスタントとしてサポートしたもの。

バナーの制作過程を書いた記事は、たくさん読まれました。

はじめまして。 40歳・元パン屋。人呼んで大型新人、土田真巳(つちだまみ)と申します。10月よりNASUで働かせていただいております、よ...


───NASUに入社する直前は、パン屋さんではなかったですよね?


土田:
はい。NASUに入る直前は、デザインの仕事をしていました。飲食店のメニューの販促物を作る部署で、メニューやポスターを作っていました。前田デザイン室で去年秋に開催された合宿の前の日にパン屋を辞めて、無職で合宿に参加したんです(笑)。

(パン屋さんを退職したときの写真)


土田:
帰った翌日から面接の日々でした。39から40になる歳だったから、年齢的に厳しいことはわかっていました。イラストレーターやフォトショップを使うデザインのお仕事ができるところを探して面接に行っていたんですけど、前職が飲食業で、しかももうすぐ40歳ですからね。基本的には受け入れてはもらえなくて。最初は正社員がよかったけれど、それだとそもそも書類の時点でだめでした。それで正社員にこだわらないことにしました。せっかくパン屋を辞めて、自分のやりたい方向に近づきたくて動き出したことだから。「パートでもいい」と思って応募した結果、採用してもらったのが前の会社でした。ありがたいことに、ここは私の年齢でも問題ないと言っていただきました。だから前職の会社に採用された時は、一生ここでお世話になるつもりでした。


───パン屋さんを辞めようと思ったきっかけは?


土田:
前田デザイン室に入り、いろんなクリエイターの人に会って話を聞いていると、「自分もそっちに近づきたいな」と思うようになりました。パンの仕事をしていると手を酷使するので、度々腱鞘炎になることもありました。だから、パソコンを触れなくなったら嫌だなと。

それから……もう10年パン屋で働いていたから今更ですが、朝が早いのは辛かったです(笑)。

最初はレジの仕事だけでした。すると次に「焼く方もやらない?」と言われたからそちらもするようになって、さらに生地をこねることも。気がつけば、シフトを作ることも全部をやるようになっていました。すると必然的に出勤時間もだんだん早くなってきて。最終的には3時半に起きないと仕事に間に合わない生活だったんです。そうすると人と会うこともあんまりできなくなって、自分の活動にも制限が出てきますよね。だから、辞めた原因の一番は、早起きが辛かったことかもしれない(笑)。

───なるほど、ではなぜパン屋さんで仕事をしていたのですか?


土田:
私は23年間劇団の裏方として活動してきました。だからパン屋がというより、劇団活動をするための条件がよかったからです。家から近いし、時給もそこそこ、朝早い分午後には仕事が終わります。そこから稽古の前の準備をしたり、劇場に打ち合わせに行くことができます。普通の仕事を夕方までやっていたら、劇団のことができませんから。だから、「パンを焼きたかった」とかではないんです。

パン屋の前は、ファミレスで5-6年働いていたこともあったし、ほんの少しだけイラストを描いていた時期もありました。パン屋に勤務していたのは、29歳の時から10年ですね。


───ファミレスとパン屋。どっちも飲食という共通点がありますね。


土田:
人見知りで、人と話すのが苦手だから、接客をがんばろうと思って選びました。


───苦手だから選ぶってことですか?苦手克服のために。


土田:
そうです。中学の時も運動が苦手だからバレーボール部に入っていました。高校まで行くと部活は本格的になるから、だったら苦手克服という理由で挑戦できるのは中学のうちかなと思って。結局下手なままですし、運動能力は上がっていないんですけどね。


───その発想が私にはなかったから、すごいなと思いました。


土田:
そういうものじゃないんですね。今まで仕事と好きなことを繋げてなかったんですよ。お金を稼ぐための手段だと思っていたから。だったら自分の苦手を克服するために使った方がいいのかなと。

でも前田デザイン室に入って変わりました。前田デザイン室で作った雑誌『マエボン』に、私はデザイナーとして参加ました。マエボンを入稿した直後に東京で打ち上げをした時が、とにかく楽しかったんです。

土田:同じ本を作った仲間同士というのもあるし、いろんなクリエイターの人たちと純粋に話をする機会が楽しくて。私もそっち側に行きたいなと。以降前田デザイン室での東京飲み会の幹事をたくさんさせてもらったのですが、きっかけになったのはこのマエボン打ち上げがあったからなんです。私が感じた楽しさを他の人にも伝えたくて。

───なるほど。先ほどから出てくる劇団の話が気になっています。


土田:
劇団には23年いました。ずっと同じ劇団です。もともとは、千葉だけで活動していたアマチュア劇団でした。私は高校の時演劇部にいて、そこの劇団を見に行ったら面白かったので、最初はお手伝いをしていました。でも気づけばメインのスタッフになっていて、そのまま23年いたことになりますね。私は演じる方ではなくて、演出する側を目指していました。

(劇団時代、音響オペレート中)

前田:同じ会社で23年働くよりも、同じ劇団に23年いた方がすごい経験してそうだよね。

土田:そういう風に認めてもらえることが嬉しいです。私からすれば、まともな働き方をしてこなかったこともコンプレックスですから。


───それは仕事ではなくボランティアですよね?


土田:
はい。私がお手伝いを始めてまもないタイミングで、プロの劇団として東京進出してみんなで食べていけるようにしようという流れになりました。とはいえ、これはどこの小劇団もそうですが、お給料が出ているところの方が圧倒的に少ないんですよ。だから無償なのは当然。自分が好きになって、面白いと思ってやっていることだから。

前田:オンラインサロンで活動するのと似ているよね。

土田:確かに。だから「無償で動くこと」に関してオンラインサロンでも意見が分かれるようですが、私からすれば「自分が好きでやっているんだから、なぜそれが問題なの?」という感覚です。

前田:23年在籍していたら、相当絆があったはずなんだけど、だからこそなんで辞めたのか気になる。聞いていいのかな?

土田:劇団には高校2年生から入っていました。私より先に入った人たちとは丸23年のお付き合いだったので、もう家族よりいた時間が長いんですよね。だから確かに家族以上の絆がありました。それなのに、なぜ辞めたのか……、一言でいうのは難しいです。

一つは39歳から40歳になるタイミングだったから。その時点で劇団で食べていけていないということは、方向を変えた方がいいのかなと。あとは作品に対する感覚がある時から変わったんです。それは私の感覚が変わったのか、劇団のそれなのか、その他の何かのよるものかはわからないのですが。だから面白くて好きでやっていたけど、先が見えなくなったというのもあります。

前田:さっきも前田デザイン室の話をしてくれたけど、劇団を辞める決断には影響したことってある?

土田:あります。「前田デザイン室」という芝居をやる自分とは全然離れたとこにある人たち、今まで自分の知らなかったコミュニティに飛び込んでみたら、自分の中の当たり前がそうじゃないと気づきました。そのことが楽しかったし、クリエイティブなことをやってみたいって思えました。

Twitterで牛乳キャップ名刺を見て前田さんの存在を知りました。「世の中にこんなデザインをする人がいるんだな」と。ちょうどその頃、前田デザイン室を立ち上げようかなという時だったんです。

土田:劇団をやっていたとき7,8割の印刷物を私が作っていたんですけど、私は脚本や演出の方に進みたかったんですよ。芝居を作ることに関わることをメインの役割だと。ただ本番が近くなるとパンフレットを作らなきゃいけないし、次の公演のチラシも作らなきゃいけない。稽古がつまってくると作らなきゃいけない印刷物も増えるんです。忙しいときにそういうことが重なってきて、元々はデザインするのは好きなんだけど「稽古に集中したいのに、なぜパンフレットを作らなきゃいけないんだろう」と思うことが度々あって。そう思ってしまう自分も嫌になってしまって。好きだったはずのことを嫌いになってしまうのも嫌だなと。

そんなときに「クリエイティブってもっと面白いものだったんじゃないの?」っていう前田デザイン室の説明があったから……、

前田:ああ、あれは俺が考えた。天才だよね。

土田:(笑)。

「ここに入ったら、仕事とかやらなきゃいけないとか抜きでもう一度デザインが好きになれるかもしれないな」と。「デザイナーじゃ無いけど大丈夫かな?」って入る前は思ったけど“アンバサダー枠”という「ただ見ているだけでもOK」っていうハードルの低い説明があったから、「じゃあ入っていいのかもしれない」と思って入りました。


───私は前田デザイン室の運営チームにいた時にまみちゃんを知ったのですが、まみちゃんといえば、最初は定例会のホワイトボードイラストですよね。素晴らしいイラストだったし、しかもなんと練習してきてくれていたと聞いて驚きました。


───それから私がまみちゃんのことを知った時、彼女はちょうど箕輪編集室(以下、みの編)にも入っていました。だから私はみの編で前田さんを知って前田デザイン室に入った人だと思っていたら逆だったんですよね。当時にしてみれば、それはすごく意外でした。


土田:
あの時期でいえば、前田さん、運営の綾さん、三浦さん3人ともみの編に入っていたし、話題にも度々出てくるから気になっていました。それに三浦さんを見ていたら、みの編で活動いていることを誇らしく思っていると感じたから、「そんな場所ってどういうところだとう?」って気になったんです。すぐ辞めてしまいましたけど……。


───最初から前のめりで、主体的でしたよね。前田デザイン室のイベントでリッツパーティをしたり、前田デザイン室の作品展示をしたり、グッドデザイン賞の審査会場の展示もまみちゃんが仕切ってくれましたよね。「あれこれ言わなくてもまみちゃんにお願いしたらきっといい感じにしてくれるだろう」と思って、私はよく甘えて助けてもらっていました。


前田:
俺っぽいことを俺より考えてくれる。俺より動いてくれる。「いいもの拾った」って感じです。

土田:(笑)。

ありがとうございます。前田デザイン室の活動で、無理したりしんどいと思ったことはただの一度もないです。楽しいことだけしてました。


NASU代表 前田高志よりインタビュー

───改めて、NASUで人を増やすにあたり、土田さんにお願いしたいと思った経緯を教えてください。


前田:
ええと、前田デザイン室でいい感じだったから。

(一同爆笑)

前田:それだけよ。そこが大事だから。

人柄と僕と価値観が近いことが大事だと考えていて、デザインは後からでも身に付く。「じゃあデザインの学校はなんやねん!」ってなるけど、でもぶっちゃけそうだと思うよ。学校で基本ができていたらいいかなって感じ。めちゃくちゃそこが下手だと辛いけど。ちょっとできていたら、あとはできるようになる。あとはデザインが好きかどうか。それは作っているものを見ていればわかる。デザインが好きなら問題があっても放置しないから。

マエボンをGOOD DESIGN賞の審査に出す時にメンバーが制作時にチャットでやりとりした会話全てを本にしてもらったんだけど、あれなんてまさにそう。

https://twitter.com/MamiTsuchida/status/1154050348182470661?s=20

前田:結構な無茶振りだったよね。最初は「巻物にして」ってお願いして、でもそしたら100メートルになることが判明したから本にしてもらった。ああいうのって、人によってはやりきれずうやむやになってたと思うよ。そこをみんなと協力してゴールまでやりきれる。だからNASUに来てくれたらちょうどいいなってね。

話を聞いたら、前の職場では今でも飲食店のメニューを作ってると聞いてたから。「それは1年で辞めたほうがいい」って会社に入った時からまみちゃんには言ってたからね。もっと羽ばたけると思っていたから、まみちゃんは。だからそのあとメッセンジャーを送ったのかな?

土田:いや、割と突然だった気がします。

メッセンジャーでお声がけいただいて、NASUでお世話になることが決まり前田デザイン室の投稿で前田さんが発表するまで、私からは何も言わないようにしていました。前の職場ではSNS見れなかったので、休憩中にスマホを見たら前田さんが私の入社について投稿してくれていて、みんなが「おめでとう」のコメントや「いいね」をたくさんつけてくれているのを見て、びっくりしました。正直喜べなかった人も絶対いるはずなんです。いろんな感想があることが健全だから、それで普通と思っています。ただ「私がNASUに採用される=おめでたい!」の空気について行けない人が、前田デザイン室を嫌になってしまわないか?そこが心配になりました。

前田:運営目線だね。さすが。俺は、いい効果しか生まれないって思ってる。「ああいう人が評価されるんだ」って伝わったはず。

土田:私は、前田デザイン室でこれまでアートディレクターやプロジェクトリーダーなど一切やってこなかったので。運営チームにいまたし、マエボンには参加したけど、他はそんなに目立つことしてきませんでした。次に作った「NASU本」は私が提出したページは完成原稿と一番変わったくらいですから。

前田:あのページは難易度が高かったから。それは最初からわかってたよ。ページのレイアウトや文字ってそんなことは後からいくらでも身につくから。1年しっかりやればできる。最近Twitterでも話題になっていたけど、ロゴが自動で生み出される時代にもうまもなくなる。そうなった時、輝き出すのはまみちゃんのような人だと思う。問題を見つけて解決できる人。シュッとしておしゃれなデザインにするだけのデザイナーは苦しくなる。

なにより仕事が増えるのは確実だったから。一人デザイナーは増やしたいなと。


土田:
日々のツイートでデザイナーを募集していることは知っていまししたが、求めているのは即戦力で私は違うかなと。

前田:まみちゃんは基礎能力のレベル52で相当高い。ドラクエでいうとバトルマスターなんだけど「いつまでスライム倒してるの?」みたいな。ゲームを進めず、最初の城の近くで23年間ずっとレベル上げだけを続けてた感じ。決してぬるいとかではなく、スライムをいかに効率よく狩るか?みたいなストイックさ。「弱点を克服しようとしていた」って話を聞いてまさにそうだなと。能力発揮する場所が他にもあることを知らなかった。ある日突然前田デザイン室の船が来て、乗ってみたら「ここだったな」って感じでしょ。

長年厳しい所にいて、育ち切ったところで僕がゲットしたわけだよね。まみちゃんの動きは、長年厳しく育てられた人じゃないとできないから。きっちり動いてくれる人がいるのは本当に助かる。これは吉田にとってもいいこと。僕は、その辺ゆるすぎるからね。俺を見てたらダメ人間になってしまう。

土田:そんなことはないですけど(笑)。でも私も怒られてできるようになったことだから、最初からできているわけではないんですけどね。前田さんから「ありがとう」と言ってもらいすぎて申し訳ない気持ちになります。

前田:そうか、じゃあ怒るわ。

土田:(笑)。

でも耐性は持っているから大丈夫です。

前田:確かにデザインをやってきた人を採用するのもいいかなと思っていたけど、それって俺の仕事が減らない気がして。デザインって問題発見、問題解決をナチュラルにできる人が必要だから。


───今後、土田さんに期待すること、今後のNASUは?

前田:一つはデザイン。基本ができたらなんでもできるようになる。レイアウト、タイポグラフィ、絵作り。それとは別に今の持ち味の畳み力は引き続きやってほしい。将来的にはコンテンツを作っていってもいいよね。俺が考えた漫画を描いてもらう。

(一同爆笑)



───前田さんは、漫画を描かないんですか!?

前田:可能性の一つとして、それもアリかなと思ってる。

とにかく僕がコンテンツを作るための時間は、まみちゃんと吉田にかかっているのでよろしくお願いします。それが今後のNASUの動きにも関わることなので。あとは、健康に気をつけてね。それだけ。

前田高志、吉田早耶香に次いで、土田真巳が加わりNASUは3人のチームになりました。

この秋・冬NASUは本社事務所を移転し、東京にも拠点を作りました。またデザイン以外の新たな事業も始まりました。青山ブックセンターやCAMPFIREとのコミュニティ事業を開始し、東京と大阪ではリアルコミュニティ「NASUギルド」もスタートしています。今後のNASUにご期待ください。




取材、執筆、写真:浜田綾