登録者数47万人超えの人気YouTube番組『街録ch』を手がける三谷三四郎ディレクターを、NASU代表の前田高志が「逆街録」してみました。

順風満帆だった人生に突如おとずれた挫折、AD時代の葛藤。そして街録chへの想いまで、三谷さんの知られざる一面をお届けします。

街録chのデザインについて語った前編はこちら

「アイスはゆっくり」から始まった戦略家人生

前田:逆街録、というか室内なので室録だけど(笑)。三谷さんについて、いろいろ聞いていきたいなと思っています。そもそも「三谷三四郎」って本名ですか?

三谷:思いっきり本名です!変わってますよね。

前田:あ、そうなんですね。芸名的なやつかと思ってました。三谷さんは生まれってどこなんですか?

三谷:生まれは東京の国立市です。ちょっと高級な住宅地もあるようなところなんですが、そこでド庶民として育ちました。友達は結構お金持ちの人が多かったですね。お小遣いは無制限みたいな(笑)。

前田:お小遣い無制限!そういう友達と付き合うのって大変じゃないですか?格差が生まれそう。

三谷:いつもは普通に仲良くしてましたけど、コンビニとか行くと格差は感じましたね。ジュースとかお菓子とかポンポン買う友達を尻目に、僕はアイスを買うんですよ。アイスは食べるのにわりと時間かかるから、ナチュラルにやり過ごせるんです。

前田:なんか切ない(笑)。奢ってくれたりしないんですか?

三谷:奢ってくれるときもありましたけど毎回じゃないので、不確定なことに期待はしないようにしてましたね。自分から「奢ってくれ」って言うのもおかしいし。いろいろ試した結果、アイスをゆっくり食べるのがベストという結論に至りました。

前田:たしかに。奢られるのが当たり前になったら、友達なのに対等じゃなくなっちゃいますよね。安易に奢ってもらおうとしないのも、まわりに気を使わせずに時間を稼ぐ方法を編み出してるのも、頭が良い感じがする。

三谷:頭が良いっていうよりは、ずる賢かったかもしれないです。成績は中の上と上の下を行ったり来たりするような感じで。馬鹿ではないけど、めちゃくちゃ頭が良いってこともなかったですね。

前田:ずる賢い!具体的なエピソードとかあります?

三谷:高校受験のときに、敢えてレベルの低い学校に入りました。これは友達のお姉ちゃんの真似で、僕が中1のときにその人が高校に入学したんですけど、めっちゃ頭が良いはずなのにちょっとレベルが低い学校に入ったんですよ。その学校は過去にレベルが高かった時代があって、その名残りで結構いい大学の指定校推薦の枠がいっぱいあるっていう理由で。

前田:頭良いな〜。もともと成績が良いから、余裕で推薦枠とれますよね。

三谷:そうなんですよ。その人は高3の7月には有名大学の法学部に入学が決まっていて、彼氏と自転車でデートしてるのをよく見ました(笑)。それを見て、僕も同じルートで行こうと決めて実践したんです。僕も無事、受験勉強を1回もせずに推薦で大学に入りました。

前田:ずる賢いというか、戦略的ですね。いい作戦だな。

三谷:無理して頑張ってレベルの高い学校に入るのもすごいし、それを否定するわけじゃないんですけどね。僕の場合はこのやり方が正解だったなと。

人生初の挫折、焦りに溺れる日々

前田:大学に入ってからも順調に楽しくやって、就活もあっさり決まって、みたいな感じだったんですか?

三谷:いや、就活は全然でしたね!テレビ局も制作会社も全部落ちちゃって、人生初の挫折だったかもしれないです。まあ、あんまりモテないとか運動神経が良くないとかの挫折はありましたけど(笑)。進路に関しては1ミリも苦労したことがなかったので、結構な衝撃でしたね。

前田:テレビ業界はもともと入りたくて志望したんですか?子どものころの夢だったとか。

三谷:いや、全然そんなことはなかったですね。いざ就活が目の前に迫ってきても特にやりたいこともなくて、強いて言うならテレビ関係かな?くらいのノリで決めました。消去法みたいな感じですね。子どものころからテレビは大好きでしたけど「番組の裏で仕事をしてる人がいる」ってことも想像できてなかったから、そういう仕事がしたいって夢もなかったです。

前田:テレビが好きっていうルーツはあったんですね。子どものころに好きだった番組ってありますか?

三谷:ドラマが好きでしたね!あとは従姉妹の影響でジャニーズが好きだったので、歌番組もよく観てました。就活でテレビ業界を考え始めたときはバラエティーの現場で働きたいと思ってたんですけど、バラエティーがどうの以前に落とされまくって。なんとか入れたのがADの派遣会社でした。

前田:ADの派遣先ってある程度は選べるんですか?ざっくりドラマ系とか、バラエティー系とか。

三谷:僕も最初はそう思ってたんですけど、選ばせてもらえなかったですね。どんどん勝手に割り振られる感じです。最初は情報系とかのパブリシティ番組ばかりやってる制作会社に派遣されました。希望とは全然違うジャンルに放り込まれて正直しんどかったですね。

前田:その制作会社ではどれくらいやってたんですか?

三谷:最初の1週間くらいで「違う会社に行かせてほしい」って上司に言ったんですけど「3年は頑張れ」と言われちゃって。そんなもんなのかって諦めて、本当にそのまま3年くらいはやりましたね。

前田:ADって仕事が過酷なイメージがありますけど、やりたくない番組でハードに働くのは精神的にも厳しいですよね。

三谷:それが、僕が派遣された番組はそんなにハードじゃなかったんですよ!僕も始める前は過酷で大変な仕事だと思ってたから、友達にも「あんまり会えなくなるわ〜」とか言ってたのに、わりと普通に遊んでました。

前田:全然眠れないとか、テレビ局に泊まり込みとか、そんなイメージがありました!意外とそうでもないんですね。

三谷:普通の会社勤めの方に比べたら過酷かもしれないですけど、思っていたよりはって感じですね。ドラマとかバラエティーだと前田さんのイメージ通りの現場もいっぱいありますけど、僕の場合は毎日帰れていたし、週2回は休めるしで。でもそれをラッキーとは思えなかったんですよ。「こうやってゆるく働いてる間に、同期は過酷な経験をして成長してるんだろうな」って、不安になったりしてましたね。

夢も希望も忙殺された「ガラパゴスAD時代

前田:YouTubeを始める前はテレビ業界でディレクターをやっていたということは、そのまま辞めずにADを頑張ったわけですよね。そういう状況だと、モチベーションを保つのも難しいんじゃないですか?

三谷:モチベーションを保つのはかなり難しかったですね。言葉を選ばずに言えば全然やりたい仕事じゃないわけで、当然やる気もなかなか出ないですし。怒られても「別にやりたくてやってるわけじゃないし」とか思っちゃうんですよ。もちろん態度には出しませんけど。

前田:そういう気持ちを抱えながら仕事するのはきついですよね。

三谷:尊敬できる人にも出会えたし、編集もそこで覚えたし、なにも学ぶことがなかったわけじゃないんですけどね。ただ、どうしてもやりたかった仕事とのギャップがすごくて、常にモヤモヤしていたというか。

前田:編集って誰かがやってるのを見て覚えるんですか?それとも実践でやらせてもらえる?

三谷:基本的に編集はディレクターの仕事なんですけど、僕は自主的にどんどんやって、評価してもらいながら覚えていきましたね。全然帰れる時間に仕事は終わるけど、泊まり込んで編集作業してました。ここで編集を覚えておけば、バラエティーやドラマの現場でも絶対役に立つと思って。それがモチベーションになってました。

前田:めちゃくちゃ努力してますね。そこで3年くらいADやって、次はどうなったんですか?

三谷:次でバラエティーには行けたんですけど、かなり特殊な番組で。一応ぼかして言うと、毎日やってる昼の生放送番組だったんですよ。

前田:誰もが知ってるやつですよね。

三谷:有名だと思います。事情を知らない人が聞けば「すごいじゃん」って言うような。でも僕は、配属が決まっても全然嬉しくなかったです。だって編集がないんですよ!あんなに勉強したのに(笑)!

前田:あっほんまや!そうか、生放送だから編集いらないんだ。

三谷:99%のバラエティーは編集が必要なのに、よりによって1%を引き当てちゃったんですよ。しかもその番組で身につくスキルは、その番組でしか通用しないのばっかりで。めちゃくちゃ特殊な番組だから、独自の進化を遂げてるんですよね。ガラパゴス諸島みたいな。

前田:またしてもモチベーション保つのが難しそうな番組ですね。仕事内容は大変なんですか?

三谷:客席で4時に寝て6時に起きる、これぞAD的な生活になってめっちゃくちゃにハードでしたね。歩きながら意識が飛ぶくらい寝られないし、理不尽に怒られまくることも多かったし。

前田:モチベーションとか言っていられないくらい過酷ですね。

三谷:ここでどれだけ頑張っても、他の番組では通用しないスキルしか身につかないし。この先どうなっちゃうんだろうって不安も最初はあったけど、膨大な量の作業に忙殺されていくうちに、だんだんそれすら感じなくなっちゃって。もう無の状態で仕事してましたね。

前田:あんなに楽しそうな番組の裏で、超過酷な日々を送ってたんですね…。その番組はどれくらいやってたんですか?

三谷:番組が終了するまで2年くらいですね。その番組でディレクターをやっていた人が新しく担当する番組に呼んでくれて、次の派遣先が決まって。そこでようやく楽しいと思える番組に関われたんですよ!

前田:やっとだ!よかった(笑)!

三谷:芸人さんたちがVTR作って勝負するみたいな内容で、編集もできるし、とにかく楽しくてやりがいがあって。そこで初めてフリーランスのディレクターさんにも出会ったんです。「こんな働き方あるんだな、楽しそうだな」と思えて、そのあたりからぼんやりフリーランスっていうのは考え始めてましたね。

前田:なんかいい兆しですね。ようやく報われてきてる感がある。

三谷:でも「頑張ってるからディレクターにしてあげるよ」って言われた矢先に、その番組も終了しちゃうんですけどね。

前田:なかなかうまくいかないな〜。もどかしいですね。


日本最北端ロケ『街録ch』の原型が生まれる

三谷:でも、そこで良い経験ができたのもあって、その後もなんとか頑張れましたね。AD始めて6〜7年くらいでディレクターになって。街頭インタビューの楽しさを知ったのもそのころですね。

前田:街頭インタビューって大変そうなんですけど、三谷さんはもともと得意だったんですか?

三谷:得意というか好きでしたね。普通に道を歩いていて、すれ違う人となんて話す機会ないじゃないですか。でもどんな相手でも仕事っていう大義名分で声をかけられて、話を聞けるっていうのがすごく面白くて。2000人の街頭インタビューとかも楽しんでましたね。

前田:2000人!?それ本当に一人ひとりやるんですか?

三谷:2000人から話を聞ければ、かなり正確なデータが取れるって話で「池袋にいる人の8割は埼玉県民」みたいなことを調査するコーナーだったんです。時間的に2000人が無理でも500人にはインタビューして、アンケートは本当に2000人分もらってましたね。「2000人に聞きました!」のテロップ入れて、100人の顔を載せたら成立するんですけど、義務感というより純粋に楽しくてやってました

前田:その番組が、街録chの原型になった感じですか?

三谷:街頭インタビューの楽しさを知った番組ではありましたけど、原型になったのは東野幸治さんの番組ですね。その番組で「猿払村のホタテ漁師に話を聞きに行こう」っていうロケに行ったんです。ホタテ漁でめっちゃ稼いでる村で、収入ランキングで千代田区と港区に次いで3位になるような場所なんですよ。

前田:猿払村で、これまでの街頭インタビューとは違うドラマがあった感じですか?

三谷:ドラマというか、インタビューさせてもらえないっていうトラブルがありました(笑)。以前テレビのインタビューを受けたら税務署が来て、痛い目にあった方がいたらしいんですよ。それ以来、誰もインタビューは受けない方針になったみたいで。

前田:北海道まで行ったのに!めちゃくちゃピンチですね。

三谷:あわてて東京に電話して「近くに宗谷岬があるから、日本最北端でインタビューして面白い人を探すって方向に変更しますか?」って聞いたらOKが出て。それが結構ウケて月1のレギュラーコーナーになったんです。有名な場所に行って、そこにいる一般人の方にインタビューするっていう内容で。でも視聴率は振るわずで、番組も終わっちゃいました。

前田:そこから快進撃が始まるのかと思ったけど違った(笑)。そこからどうやってYouTubeに移行するんですか?

三谷:フリーランスのテレビディレクターとしてやっていくなかで制限を感じるシーンが多くて、YouTubeの自由さに憧れたっていうのは大きいですね。羨ましいなと思ってました。テレビ番組の制作は関わる人数が多いから、いろいろと面倒なことも出てきちゃうんですよ。

前田:関わる人数は多すぎないほうが面白いものが作れるっていうのは、僕も思いますね。

三谷:番組を作るのに何回も資料を作って、上の人に確認して、撮ったらまた確認して、15分のVTRを作るのに1ヶ月かかるのも珍しくないんですよ。効率が悪すぎるし、確認を繰り返してるうちに面白さが薄まっていくこともありますしね。

前田:それでテレビに見切りをつけて、YouTubeに進出したって感じですか?

三谷:でも、いきなりスパッとかっこよく辞めたわけじゃないんですよ。そのころ結婚したばかりで、もうすぐ子どもが生まれるってときだったので、いきなり無収入でYouTuberっていうのはできなくて。楽しく仕事できる2番組だけは残しました。保険をかけながら、ちょっとずつフェードアウトしてYouTubeに移行した感じです。

前田:いや、保険は大事ですよ。新しいこと始めるときってストレスがすごいから、精神的な余裕は絶対に必要だと思います。YouTube番組は街録chが最初なんですか?

三谷:架空のCMみたいな短い動画を出したことがあるくらいで、ちゃんとした番組は街録chが最初ですね。本格的にYouTubeでやるなら、どんな番組にしようかなって考えたときに「東野さんの番組のコーナーでやっていた感じはどうかな」と思って。

他人の人生のリアル” を撮り続ける

前田:街録chの魅力って、どういうところだと思いますか?

三谷:僕自身が感じている魅力は “どうしようもないリアル” ですね。僕からすれば想像すらできないような世界が、その人にとってはただの現実で。台本じゃ絶対に書けない、作られていない、生々しいリアルな話が聞けるところに魅力を感じてます。

前田:これまで取材してきたなかで、一番印象に残ってる話ってありますか?

三谷:街録chの話じゃなくて申し訳ないんですけど、街録chの原型になった東野さんの番組で出会ったおじいさんの話がすごく印象に残ってますね。鳥取砂丘で、すごく重そうな荷物を背負ったまま、めちゃくちゃ風に煽られてるおじいさんがいて。何してるんだろうと思って近づいたら、パラグライダーの練習をしてたんですよ。

前田:ちょっとその場で見てたら心配になりそうですね。おじいさんって何歳ぐらいの方ですか?

三谷:70歳くらいですね。僕も危ないなと思いながら声をかけたんです。話を聞いたら20年前に奥さんを亡くされていて、ひとりで寂しく暮らしてたところに昔の同僚から連絡が来て「最近パラグライダーを始めた」って言われたらしくて。ここまで聞いた段階で「おじいさんが無理するなよとか思って悪かったな」と思うんですけど。

前田:ちょっとでもその人の背景がわかると違って見えますね。

三谷:本当それなんですよね。そのあと更に聞いていったら、おじいさんは元自衛隊の方で、同僚と「いつかまた、死ぬ前に一緒に空を飛ぼう」って約束したからパラグライダーを練習してるって言うんですよ。もうそうなると、さっきの風に煽られているシーンも、めちゃくちゃエモーショナルに見えてくるんですよね。

前田:さっきまで危なっかしいおじいさんを心配してたはずなのに、もう感動的で壮大なシーンにしか見えないですね。

三谷:すごく特別な話じゃないかもしれないけど、どんな人にも作り物じゃないドラマがあるって教えてもらいましたね。おじいさんとの出会いで感じた想いみたいなものが、街録chの軸にあります。観る前よりもその人を好きになってもらって、観終わったら応援したくなるような動画を作っていきたいなと。

前田:めちゃくちゃいい話じゃないですか!

三谷:もちろん再生数とか登録者数とか、数字も大事なんですけどね!でも、そこだけを追いたくないんです。たとえば過去に刑務所に入っていた人だとしたら、そこをクローズアップすれば効率よく数字は取れちゃうんですよ。でも、それだと出てくれた人のプラスが何もないですよね。

前田:もしかしたら一時的に有名になったりはするかもだけど、それで終わりですよね。しかも悪い意味で有名になるわけだから。

三谷:「こんな過去があったけど、今はこうやって頑張ってるんだよ」ってところまで撮りたいんです。僕は街録chを長くやっていきたいので、一時的な数字にとらわれずに「良いものを観た」と思ってもらえる動画を作っていきたいですね。かっこいいこと言っちゃったかもしれないけど、もちろん再生数も登録者数もいっぱい増えてほしいです(笑)。

前田:再生数が伸びやすい、サムネの法則みたいなものってあるんですか?僕の回は平和だったから、ワードを選ぶのも難しかっただろうなと思って。

三谷:やっぱり事件性を感じるワードは強いですね。借金とか、刑務所とか。デザイナーさんやアーティストの回って、内容はすごく面白いんですよ。でもその内容を超えるサムネが作れていない気がしてます。

前田:まず観てもらうための、引きが弱いって感じですかね。

三谷:まさにそれです。実のある情報がたくさんあって満足度は高いはずなんですよ。だからクリックさせちゃえばこっちのものなんですけど、フックになるサムネにしづらいんですよね。前田さんを犯罪者にはできないし(笑)。

前田:街録chに出るって決まったあと「何も悪いことしてないけど大丈夫かな」って、ちょっと心配してました。サムネに使えるようなエピソード出せるかな?と思って(笑)。

三谷:犯罪系のサムネで埋め尽くしたいわけじゃないから大丈夫ですよ!出てる人がみんな事件起こしてる人だったら物騒すぎる(笑)。いろいろな人がいて、それぞれの人生にドラマがあるっていうのも街録chで伝えたいことのひとつなので、平和な回も必要なんです。

前田:安心しました(笑)。では最後に、今後の街録chにかける意気込みを教えていただけますか?

三谷:これからも “他人の人生のリアル” を、最前線で撮り続けたいです。YouTubeだからこそできる切り口で、良質なコンテンツを届けていきます!





〈企画・編集=浜田綾(@hamadaaya914)/  取材=前田高志(@DESIGN_NASU)/文=成澤綾子(@ayk_031)/撮影、バナーデザイン=小野幸裕(@yuttan_dn52)〉