伊丹市に現れた屋外広告「松谷ロボ」、どうせなら面白いことがしたい!!
兵庫県伊丹市。
阪急伊丹線の終着駅「伊丹」駅の南出入口から出ると、駅前らしい賑やかな商業ビルが建ち並びます。
2020年10月、そのビル群の中に、突如として“巨頭”が姿を現しました。
真四角で緑色の顔。黄色い目に、模様が入った赤い鼻。M字型に尖った歯。
あれは…“ロボット”!
……と見違える方もいるはず。正確には、ロボットを模した“看板広告”なのです。
この看板広告を仕掛けたのは、松谷化学工業株式会社(以下、松谷化学工業)。1919年に創業し、伊丹市に本拠を構える食品素材メーカーで、加工でん粉製品では国内シェアNo.1です。
市を代表する老舗メーカーが、なぜロボット看板広告を誕生させたのか。そこには、伝統を大切にしながら「“面白い”ことにも挑戦していきたい!」という松谷化学工業と、“面白い”仕事がしたいと常々公言している、伊丹市出身のNASU・前田高志が込めた、次代の成長への思いと伊丹市への愛がありました。
100周年を契機に芽生え始めた新たな意識
前田:松谷化学工業さんとの出会いは2017年9月。2019年に控える創業100周年に向けて、CI(Corporate Identity)を刷新したいとご相談をいただきました。
丸岡:100周年という記念すべき年をただの通過点ではなく、皆で何か形に残る活動をして盛り上げようと、社内プロジェクトがいくつか立ち上がったときでした。CIの刷新もその一つです。あのタイミングを逃したら、次に見直す機会はなかなかありませんでしたからね。
前田:松谷化学工業さんの名前は知っていたので、とても光栄でした。伊丹市は僕の地元なんです。市内のバスに掲出されている広告は目にしていましたし、母親からは健康に気遣って『松谷のおみそ汁』を仕送りしてもらっていました。あまりに嬉しかったので、オファーをいただいたときは、地元を代表する企業との出会いに恵まれたと、あちこちで話をしました。
丸岡:私たちもずっと同じ場所で製造業を営んできたので、伊丹市への愛着は強いです。会社の顔であるロゴを変えるなら、この地に同じように思い入れがある前田さんにお願いしたいと思いました。結果的に、社内の事情もあってCIの刷新は実現しなかったのですが、他にも色々な周年プロジェクトを推進するなかで、会社にも変化が起こり始めました。
前田:社訓を伝えるビジョンブックや、社歌をつくるプロジェクトもありましたよね。どれも社員の皆さんの強いこだわりを感じました。
阪本:実は、制作物にこだわりを持つ風土があったわけではないんです。当社は、食感や健康価値などを高める「でん粉」、「希少糖」といった食品用の添加素材を製造しています。お客様は、食品メーカーを中心とした法人です。実際、BtoBの商材が商品全体の99%を占めています。そのため、広告や販促ツールを制作するときも、一般受けはあまり意識せず、法人のお客様に正しく情報が伝わることに重きを置いてきました。
丸岡:製造業である以上、「良いものづくり」こそが利益の源泉。極端な言い方をすれば、製品が良ければ売れるので、デザインや見せ方にまでこだわる意識が希薄でした。ただ、心の奥底で「新しい挑戦がしたい」と思う社員も少なくなかったんだと思います。実際、周年プロジェクトには多くの社員が有志で参加し、自由な発想で活動を展開していました。創業100周年プロジェクトは、私たちの中に眠っていた“こだわり”を発揮するきっかけになったんです。
前田:僕も、社員の皆さんが活き活きと、楽しんでプロジェクトに取り組む姿が印象に残っています。どこか家族にも似た温かい雰囲気もありました。各々にこだわりやアイデアを出し合って、一丸でこの会社をもっと良くしていこうという思いを感じました。
阪本:少し会社の雰囲気が変化し始めてきた中で、ちょうど持ち上がったのが看板広告のリニューアルでした。この機会に私たちも心に決めました。せっかくやるからには徹底的にこだわろうと。
“面白い”を因数分解。共通認識を育んだ4回の提案
阪本:以前から、阪急駅前の同じ場所に看板広告を掲出していました。ただ、長い間、同じデザインのままで、かなり色褪せてきてしまったので、リニューアルすることが決まりました。その担当になったのが、私たちが所属する「広報室」です。
玉坂:私も部署の新設に合わせて広報室に異動してきました。全社的な広報・PR業務を統括する部署として、2020年5月に新設されました。この看板広告のリニューアルが広報室にとって最初の仕事でした。
阪本:元々のデザインは、商品名や問い合わせ先も記載されており、商品PRに重きを置いていました。商品は他にも様々な販促活動を実施していることもあり、今回は会社のことを知ってもらうことに主眼を置くことにしました。
阪本:駅前の目立つ場所にある看板広告ですからね。道行く人が思わず見上げてしまうようなものにしたいと考えました。そのためのキーワードが「面白い」。せっかくやるなら私たちが愛する伊丹市の景観の一部として、たくさんの人の興味を惹く面白いことがしたいと思ったんです。面白いデザインをつくるならと、最初に思い浮かんだのが前田さんでした。
丸岡:阪本から「前田さんに相談してみよう」と言われたときは、「やはりそうですよね」と(笑)。実績も強烈なインパクトがあるものばかりですし、ご一緒したら素晴らしい看板広告をつくってくださると直感しました。
前田:ありがとうございます。広報室の皆さんの強い思いは、最初の打ち合わせのときから感じていました。「面白い」というキーワードが鮮明に頭に残りましたね。勢いそのままに、提案書の1ページ目も「おもしろい看板」(笑)。
ただ、一口に面白いと言っても、何をもってそう思うかは人によって様々です。その中身をひも解くため、第1回のご提案には振り幅を持たせました。文字のみパターン、イラストのパターンなど全17案。この中から選ぶというより、“面白い”について共通認識を持つことが目的でした。
阪本:どの案も面白くて、どう選んでいいか迷いましたが、これはあくまで当社の看板広告。社員が見たときに“松谷化学工業らしさ”が感じられなければ、きっと社内でも受け入れてもらえません。私たちの主観ではなく、当社内でも許容されるラインを保ちつつ、面白さも感じられる。この絶妙なバランスをとる必要がありました。
前田:僕も、この擦り合わせに時間を掛けた方がいいと思いました。第2回目のご提案も、全く違うデザインで全15案をご提案しました。第1回目のご提案時に、フィードバックいただいた松谷化学工業さんの社内の好みも踏まえて、少し抑えめな案も入れました。
玉坂:全32案から第3回目のご提案で4案、最後の第4回目のご提案で2案へと絞り込んでいきました。どれだけ話し合いの時間を持ったかよく覚えていないほどです。それだけ時間を掛けて一つひとつの案について意見を出し合うなかで、私たちの間に“面白い”への共通認識ができてきた実感がありました。
決め手は「未来」。いつか語り継がれる場所に
阪本:最後に残った2案は、社内でも意見が割れました。ロボット案とグルコース人形案。これは甲乙が付けがたかったです。
丸岡:決めかねているときに、ふと思い出されたのが、打ち合わせ時の前田さんの言葉でした。「この場所が伊丹駅の待ち合わせスポットになる」。私たちが看板広告を通してやりたいのは、こういうことなんじゃないかと気付かされました。
前田:個人的には、初回提案のときのイチオシがロボット案でした。「伊丹駅のロボットの下で待ち合わせね」と言う人のイメージが湧いたんですよね。道案内に使ってもらうこともできます。この看板広告は出し続けることで、地元の人々にジワジワと浸透する。いつかは駅前のシンボルとして、伊丹駅の思い出の場所になると思いました。
玉坂:メッセージ性も良かったんです。ロボットはイノベーションの象徴。でん粉を使って世の中に革新を起こそうとしている当社のイメージにも重なります。
丸岡:ビルの形がカクカクしているので、ライトを付けると一層ロボットらしさが際立つイメージも沸きました。看板広告がどう見られるか、どう続いていくかを考えたときに、今回はロボット案にしようという結論に至りました。
前田:松谷化学工業さんらしさと、面白さがどうしたら最も伝わるか。僕も作り手として悩みに悩みました。最後に皆さんが、自社と伊丹市の未来を見据えて、クリエイティブな判断をしてくださったのは嬉しかったです。
丸岡:どの会社でも同じだと思いますが、デザインへの判断は十人十色です。社内で意見を募ってもキリがありませんし、多数決で決めるようなものでもないと考えています。最後は誰かが決めなくてはなりません。
当社では経営陣が最終判断を下しています。人によって好みが違うからこそ、自分が提案したデザイン案を他人に判断してもらうのは、どうフィードバックされるか分からず不安も伴います。でも、今回は自信を持って提案できたんです。それは、このデザインに至るまでのこだわりやプロセスを大切してきたからだと思います。何となくつくって、何となく自分の好みなデザインというだけでは、独りよがりになってしまいます。
「なぜそのデザインが良いのか」を自分たちの言葉で伝えられるのであれば、きっと理解は得られますし、どのような判断を下されても納得感は得られるものだと実感しました。
こだわりは徹底的に! “らしさ”を表現した2つのアイデア
前田:ロボット案に決まってからも、皆さんのこだわりを感じた出来事がありました。ロボットの歯の部分を、自社のロゴにしてほしいと要望をいただいたことです。あれは衝撃でした!
阪本:BtoBの業態である当社は、縁の下の力持ちの役割なので、社名は全面に出したくないと思いながらも、せっかくなのでロゴマークを出せないか、と考えていたんです。社内でも相談するなかで「そうだ、歯だ!」と閃きました。
前田:めちゃくちゃ良いと思いました。コーポレートロゴは、企業としてのアイデンティティの一つです。だから、僕も使うときには慎重になりがちで、ご提案では添えるパターンがほとんどでした。阪本さんからアイデアを聞いたとき、思わず「負けた」と口にしてしまったほどです(笑)。これはデザイナーである自分から提案するべきだったと痛感しました。
玉坂:こうなったら自分たちがこだわってきた“面白い”を貫き通して、徹底的にやろうと。社内でアイデアを話し合っているときもワクワクしましたね。
丸岡:より当社らしさを加えようと鼻には希少糖マークを足していただきました。間近で見ると、歯と鼻、どっちのロゴも結構分かりやすいんですが、遠くから見るぶんには決して主張しすぎない。それもまた当社らしさだと思います。
“面白い”は自由な発想を生む合言葉
玉坂:看板広告を想起してもらう仕掛けとして、阪急伊丹駅と、約1km離れたJR伊丹駅の構内にも広告を掲出しました。看板広告を見た後に、駅広告を見たときに「あれ、どこかで見たぞ!?」と想起してもらうのが狙いです。
丸岡:看板広告と駅広告、この2つがつながることで大きな効果を発揮すると思います。だからこそ玄関口となる阪急とJRの両方の駅に看板を出すことに意義があると考えました。
前田:この一連のストーリー仕掛けが、年月を重ねることでジワジワと浸透し、引いては松谷化学工業さんのPRにつながるはずです。最近は、広告らしい広告では人の興味は惹けなくなってきています。矛盾しているようですが、広告の枠から外れることが、結果として広告効果を発揮するとも言えます。そういう意味では、自社製品とは関係なく、長年使い続けることで街の景観の一部として定着するデザインにしたのは正解だと考えています。
丸岡:私はもう入社して20年ほどになります。入社当時は、このような看板広告を出すようになるなんて思ってもみませんでした。創業時から受け継いできて、今も大切にしなければならない価値観はあります。一方で、毎年、新しい社員が入社していきています。私もベテランの一人として、これからを担う世代の社員たちに「チャレンジしていいんだ」と思ってもらえる土台を築いていきたいです。イノベーションは、社員の挑戦への気概から生まれると思っています。
玉坂:広報室に異動して、最初に上長に言われた言葉が印象に残っています。「変われる範囲であがけ」。看板広告のデザインを一新できたのも、私たちなりのイノベーションだと思います。広報担当として、自分も当社の変化をできる限り発信していきたいです。
阪本:先ほどもお話したように、当社は縁の下の力持ちであり、自分たちが前に出ていくタイプではありません。「実はこれに松谷さんの製品が使われている」と思ってもらえたらいいと考えています。このコアバリューは大切にしながら、面白いことにも取り組み始めると、会社に新しい風が吹くはずです。
当社はメーカーとして、常に世の中の変化に対応し、新しいものを提供し続けなくてはなりません。ちょっと“面白い”を意識することが、日々の仕事での工夫や改善を生み、その積み重ねが大きなイノベーションにもつながるはずです。“面白い”は自由な発想を生む合言葉だと私は思っています。社員一人ひとりが“面白い”を大切に、挑戦を重ねることが、当社をこれからも成長させる力になると信じています。
後日談
この取材の後に、伊丹スポーツセンターにある野球場の広告のデザインもご依頼いただきました。ここにも松谷ロボがいます。
〈文=木村涼 (@riokimakbn)/ 取材・撮影・編集=浜田綾(@hamadaaya914)〉