どんな仕事も全力でレシーブ! 企画力が魅力のNASUの新卒デザイナー
2023年4月、株式会社NASUに新卒の社員3名が入社しました。
そのうちの一人が、デザイナーとして入社した村山歩弓さんです。
村山さんは、大学を卒業してから専門学校へ進み、デザインを学んだという経歴の持ち主です。
大学時代には就職活動をして内定ももらっていながら、デザイナーに進路変更したのには、どのような思いがあったのでしょうか? NASUとの出会いや今後の目標について、お話を伺いました。
株式会社NASUの村山歩弓です。
———では、自己紹介をお願いします。
村山: 新卒入社の村山歩弓です。 今はデザイナーとして働いています。それまでは大阪モード学園という学校のグラフィック学科で3年間勉強していました。
ユニークなWebサイトに興味を持ち、NASUの会社説明会へ参加
———NASUはどのように知ったのですか?
村山:就活をしているときに、学校の先生から教えてもらいました。石橋先生という前田さんと関わりのある先生だったのですが、おすすめの会社をピックアップしてLINEグループにシェアしてくださっていて、その中にNASUが新卒採用をするという情報も載せてくださっていたんです。
———いろいろな会社があった中で、なぜNASUを受けようと思ったのでしょうか?
村山:ホームページを見て決めました。これまでバイト先を探すときでも、ホームページで見てみて、ピンとくるところを選んでいたんです。就活でも全部の会社のホームページを見た上で、NASUが一番おもしろそうで話を聞いてみたいな、と思ったので会社説明会に申し込みました。
———当時のNASUのホームページはあまり他にはない感じでしたよね。
村山:ひときわ目立っていましたね(笑)。
———そして、4月に開催したZOOMでの会社説明会に参加したんですよね。そのときの印象はどうでしたか?
村山:NASUの説明会に申し込んだのは開催直前でした。ちょうどその頃は第一志望の会社に落ちて1週間後くらいで、もう就活がしんどい、疲れたなっていうときでした。だからNASUの説明会も「受けようかどうしようか……。でも、やっぱり行くか」と迷いながら直前に決めたんです。
でも、説明会当日は学校の友達と予定があったので、カフェでイヤホンをして片耳で聞いていました(笑)。学校生活もあと一年だから、クラスのみんなともっと話す機会を作ろうと、月一回くらい「ワクワクラボ」っていう企画を友達とやっていて、その日とかぶってしまっていたんです。
———なるほど(笑)。ということは印象は……。
村山:印象は……内容というより雰囲気です(笑)。まず、社員全員が出ている説明会が今までなかったので、それがすごくいいなと思いました。
ほかの会社の説明会だとしゃべる人が決まっていて、全然しゃべらない人もいますよね。でも、NASUはみんながワイワイというか、みんなが話している雰囲気が素敵だと感じました。
前田:ワクワクラボっていうのが気になるなぁ。 NASUでやりそうな企画だね(笑)。
採用の決め手は企画力
———書類選考に通ったあとは、名刺を作ってきてもらうという課題でしたね。どんな名刺でしたか?
村山:「NASUにふさわしい名刺を作ってください」というテーマで、4種類くらい用意してプレゼンしました。
お祭りのチケットみたいにちぎって渡せるものとか、ナスの植木鉢にQRコードか何かを貼ったものとか。植木鉢のものはナスに毎日水やりして育てられるようにしているから、NASUのことを思い続けてもらう、というコンセプトです。
———前田さん、それを見た時の印象は覚えてますよね?
村山:事前にヒアリングもしましたよね。
前田:そうそう。そのときは「やってんな〜(笑)自己アピールかな〜」と思ったけど。でもめちゃくちゃいい子だった。
提案に関しても僕がよく言ってるけど「なぜそのデザインか」というところが考えられている。これはこうだからこう、という狙いをもって作るというのは、ある程度経験してもできていない人も多い。その点、むらちは分かってるなと思ったよ。
デザインの力はまだまだだけど、これからなんとかなるかもしれない。逆に企画とかデザインの考え方の部分を教えるほうが大変かな、と。だから、(同期入社の)小賀と真逆の仮説だよね。
———名刺のあとは、「スプリンギン」(ゲーム作成ソフト)を使った課題でしたね。そのときはどうでした?
村山:名刺の課題が終わって、もう合否が出ると思っていたので「まだあるんかーい!」という気分でした(笑)。
前田:しかもすごく面倒くさいやつが(笑)。
村山:スプリンギンも触ったことないし、ゲームも作ったことがなかったんです。でも、新しいことをするのは結構好きなので、「はぁ、頑張るかぁ……」と。
———作ったゲームは「『勝てるデザイン』ガチャ」でしたよね。課題を作るにあたっては『勝てるデザイン』もかなり読み込んだということですか?
村山:はい。『勝てるデザイン』を読んだことも入社を決める一つのポイントだったんです。「こういうデザイナーになりたい」ということと、今の自分ができてないな、と思うことが書かれてあり、それがよくて。
ほかのデザイン系の本を読んでも「ああ、そうなんだ」「すてきだな」という感想だったのですが、この本は上から目線ではなくフラットな目線で書かれているように感じました。だから、自分にも共感できる部分とか、これをがんばろうと思える部分をたくさん見つけられたんです。
———『勝てるデザイン』を最初に読んだのはいつでしたか?
村山:しっかりと読んだのは課題のときでしたが、その前にも同級生が本を持っていたので貸してもらって読みました。でも、名刺を作るときに「勝てるフォント」を使いたかったので、そのあと買いました(笑)。
———スプリンギンはどんなことが大変でしたか?
村山:やっぱり操作ですね。使ったことのないソフトでしたし、説明書もあまりなかったので。実際に触りながらとか、ほかの人が作ったのを見て参考にするしかないというのが大変でした。
あとは、デザインのブラッシュアップですね。こんなにもフィードバックしてもらえるんだ! って感じで、ついて行くのに必死でした(笑)。
———これが「鬼フィー」か、と(笑)。
村山:そうですね。
———前田さんは名刺や『勝てるデザイン』ガチャを通して、むらちの課題はどうでしたか?
前田:『勝てるデザイン』ガチャは名刺のときほどの感動はなかったけど。あとはなんか……(フェードアウト)。
———え、話終わりました!?
前田:あー、ちょっと待って……。よくあるっていうか、僕がやりそうなアイデアだなぁ、と思ったな(笑)。
———「僕が考えそうなことをやる」と、選考を通してよく言っていましたよね。さっきの「ワクワクラボ」も、まさにそうですよね。
前田:あと、進め方とかはよかったね。
———この課題の難しさは、やったことのないことをやること。それから、スケジュールが決まっている中で段取りを決めないといけないので、進め方が問われます。むらちはそのあたりがよくできていましたね。
そして、採用は当初一人の予定のところ、二人になりましたが、採用の決め手はどのようなものでしたか?
前田:決め手は今後、企画の仕事を取りたいとも思っていたんだけど、そのイメージができたことだね。デザインの面では小賀を、企画の面ではむらち。それぞれできることが違うから、二人ともを採用することに。
———採用が決まったときは、ほかの企業も受けていましたか?
村山:いえ、その時はNASUだけでした。ただ第一志望だった企業に落ちて、就活がしんどかったときに声をかけてもらっていた団体があったんです。イベントや映像を作ったりする学生団体に入っていたのですが、そこが法人化するかもというときで起業を経験できるチャンスなんて人生でそうないし、仲間も良い人たちだったので一緒にやるのも楽しそうだなと思っていました。なので、選考の途中まではその団体と迷っている時期がありました。
———選考の途中からNASUが第一志望になったのですね。
村山:課題を進める上でフィードバックをしてもらったり、やり取りをしていくうちに感じたんです。まだ自分のデザインに自信もないし、NASUのような会社に入ったほうが後々自分のやりたいデザインをできるようになるんじゃないかと。
———デザインの面においてストイックな環境を選んだわけですね。合格がわかる頃にはNASUに絞っていたということは、決まった時は「やったー!」という感じでしたか?
村山:はい!
前田:喜びが感じられたよ、メールに。返信が早かったもん。
ストイックな性格は中高生のバレー部で培われた
———次にデザイナーになる経緯について聞かせてください。先程はストイックという話も出てきましたが、学生時代はスポーツを一生懸命されていたんですよね。
村山:そうです。昔から体育会系で学生時代はバレーボールをしていました。バレーを始めたのは小5の時で、それまでも毎日のように水泳とかアスレチッククラブ(陸上)に通っていました。中高の部活でもやっていて、高校はスポーツ推薦で入りました。
前田:スポーツ推薦で? すごいね。全国大会も目指してた?
村山:はい。春高は1年の時だけ先輩に連れていってもらいました。練習はやはり厳しかったですね。グランド100周とか、ウェイトトレーニングも週一でしていました(笑)。
———その後は大学に進学したんですよね。バレーは続けたんですか?
村山:大学にもバレー部はありましたがバレーはもういいかな、という思いがあったので続けませんでした。大学では文学部心理社会福祉学科というところに進み、病気の人にアプローチする福祉系の心理学を勉強していました。
内定を辞退し、大学卒業後はデザインの専門学校へ
———大学のときにも就活はしていたんですよね?
村山:はい。漠然と人と関われる仕事がしたいな、と考えていたのでいろいろな業界を受けていました。
———内定ももらっていたんですよね。
前田:内定はいくつくらいもらってたの?
村山:2社からいただいて、そのうちの1社に行こうと決めていました。その会社はオフィスもきれいでお給料もいい方でしたし、そこで働く自分を思い描くとうれしかったです。ただ、内定受諾を出そうという段階になったとき、本当にこれでいいのかな? と迷いが出てきてしまいました。
と言うのも、私は広報・PRを希望していたのですが、配属はどこになるかわからなくて、例えば電話応対がメインの部署に配属される可能性もありました。もしそうなったら楽しいのかな? 自分はそういう仕事をしたいのかな? と悩んでしまって……。
そこでこれまでの人生を振り返って自分のやりたいことを考えたときに、デザイナーという仕事が浮かびました。
———デザイナーになろうと思ったのはなぜでしょうか?
村山:大学生の頃に「ハッピーアースデイ大阪」という年に一度、環境啓発イベントをする学生団体に入っていたんです。毎年イベントのコンセプトやテーマを決めて、その内容に沿ったチラシやポスターはデザイン学校の学生さんや先生方に作ってもらっていました。
毎年3月に開催するイベントでポスターの制作は12月頃から始まるのですが、デザイン学校の方々は4月のテーマ決めの段階からミーティングに参加してくださるんです。だから「こういうことを言ってましたよね」と、テーマ決めのときに私たちが言っていながら、すでに忘れてしまっていたことまで表現していただいたり。
そうして自分たちが想像していた以上のポスターができあがってくるのを見たり、真摯に人と関わってくれて、思ってくれる、感動させてくれる。そういうデザインと人との関わり方に魅力を感じたことが、デザイナーになろうと思った理由です。
———その経験がデザイナーにつながったんですね。内定を辞退して専門学校に行くことに決めたとき、ご両親の反応はどうでしたか?
村山:母にはすぐに話しました。父は結構厳しいので、今東京にいるのですが東京まで行って泣きながら話しました。
前田:お父さんやと思って言ってみて!
村山:「話したいことがあります」って言ったら、「わーっ」と泣けてきて。
前田:「何があったんや?」。※お父さん風の真似をして。
村山:「内定をもらったけど、大学に行かせてもらってお金も払ってもらって、申し訳ないけど、デザインの学校に行き直したい」。
前田:「ふざけるな!」。
一同:(笑)。
村山:そのときはどんな会話をしたのか覚えてないのですが、大賛成って感じではなかったです。でも、姉も大学卒業して専門学校に行き直していて、兄も卒業後に……。
前田:全員(笑)。またかよ! って思っただろうね。
村山:その二人の手前、反対もできないけど、姉や兄を見てるからこそ反対できるんじゃないか、とも思われていたみたいです。
どちらにしても大賛成ではなかったので行動で見せるしかないと、大阪に帰ってからはいろいろな学校に行って話を聞いて、パンフレットをもらって調べたりしました。
父はよく「メリットとデメリットを書き出せ」みたいなことを言うので、学校ごとに「ここに行った場合のメリットとデメリット」を書き出して。そして父に提出して、ここに行きますと伝えました(笑)。
———モード学園に決めたのは、どういう点だったのですか?
村山:最初は別の学校に行こうと思っていて、何度か話をしに行ったり、担当の方にも良くしてもらっていました。
そのかたに、ふと「私はここ以外だったらどこの学校にいそうですか?」と聞いたことがあったのですが、そのときに「村山さんはモードにいそうだよね」と言われたんです。
じゃあモード学園も見に行ってみようと、説明会へ行ったりカリキュラムを調べたりしてみました。もともと行こうとしていた学校は2年制だったのに対してモードは3年制。より多く勉強できるし少人数制とも書いてあって、ストイックそうだと感じて……。
———やっぱりストイックが好きなんですね(笑)。
村山:はい(笑)。それでモード学園に入りました。
内定後、アルバイトとしてNASUの一員に
———内定が決まってからは、NASUでアルバイトとして働き始めましたよね。どういう印象でしたか?
村山:最初に来たときにみんなが立って出迎えてくれて、まずそこがすごいと思いました。
前田:そうだっけ? でも、たしかにそうかも(笑)。
村山:全員立って「いらっしゃい」「よろしくお願いします」みたいな。みんなが手を止めて言ってくれる会社があるなんて、と感動したのが一番印象に残っています。
だからアルバイトのときから今まで、出勤するのが嫌だと思ったことはありません。いつも迎え入れてくれる感じで安心するような。それがすごくいいと思いました。
———「お客さんも(スタッフのことを)褒めてくれる」とは前田さんもよく言っていますね。それに、応募条件にもありますが、NASUはデザインはもちろん、人が好きじゃないと難しい会社ですよね。むらちもそういう人だから合ってるのでしょうね。
では、大変なことやつらいことはありましたか?
村山:あ……はい……。大変だと思います(笑)。例えば、アルバイトとして最初に任せてもらった仕事が「植木鉢を探す」というものでした。「買い物もデザイン」だと『勝てるデザイン』に書かれていましたが、「そこまで考えるのか」「もっと調べないといけないんだ」みたいな。まずはそこが大変でしたね。
前田:「めんどくせえな」って(笑)? でも買い物もデザインなんでね。モニターの購入もお願いしたよね。あれはよかったよ。植木鉢はあまり覚えてないけど(笑)。
———グラフィックデザインの仕事では、『勝てるデザイン』の特装版も担当していましたよね。あれも結構難易度が高かったと思います。
前田:うん、高い。
村山:大変でしたね。あれでよかったのかな、と今でも思うときがあります。
———決める、選ぶというステップが無数にある中で物事を進めて行かなければいけませんでしたが、そういったことが得意なんでしょうね。では、入社してから大変だったことは何ですか?
村山:NASU-Tシャツが一番大変でした。
———NASU-Tシャツはデザインのアップデートだけでなく、箱のデザインや規格、発注などすべて任されていましたからね。
そして、これがむらちの代表作。NASUポスター展のときの宝箱です。
村山:ポスター展のテーマが「探求」だったので、フライヤーを鍵型にしてそれで宝箱を開けようというコンセプトで作りました。工作はアルバイトのゆもっちゃんがやってくれたのですが。
たしか、はっちゃんさん(NASUのデザイナー・水上肇子さん)が鍵型フライヤーの案を出してくださって宝箱も必要だということになり、私が作ることになりました。たくさんのお客さんに開けていただくものだから、頑丈にきれいに作ろうと思いながらやっていました。
———ところで、入社後に金髪にイメージチェンジしたのは前田さんのアドバイスだそうですね。
前田:なんで金髪にしたかという話ね。
もともと美大出身とかじゃないし、むらちの根っこの部分って、実はアートとかデザインというのはそんなにないのよ。だから、アートに対して壁みたいなものができている気がして。どこか突き抜けたことをしないとアートを自分のものにできないと思うんだよね。自分を変えられたら、デザインも変えられるんじゃないかな。
でも、本当は銀髪ね。だって金だと田舎のヤンキーみたいだから。ジャージを着ているような。今もダボダボの服とか着てるから、余計にそう見えてしまう。もっとピタピタの服着たら? なんて言うかわからないけど、モード系の。
「むらちに任せたい!」と言ってもらえるデザイナーになる
———今後、NASUで働く上での目標を聞かせてください。
村山:私はデザインの力はまだまだと言われているので、まずはデザインの面で小賀を越えられるようになりたいです。小賀はデザインがすごくて「もっと頑張らないと!」と見ていて焦らされるので、私も小賀にそう思われるようなデザインをするのが直近の目標です。
———中長期的な目標はどうですか?
村山:前田さんからデザインの仕事を「むらち、これならできるかなぁ?」と頼まれる感じではなくて「むらちにこれを任せたい!」と言ってもらえるようになることです。
また、今は目の前のことに一生懸命で、会社全体のことまではあまり考えられていない状態です。ほかのメンバーが担当しているプロジェクトのことなども、すべてきちんと理解できているとは言えません。
今は社内のデザインでいっぱいいっぱいなので、もっと広い範囲で会社のことやクライアントさんのことを見られるようになりたいです。そうすれば全部のデザインもさらによくなると思いますし、そういう余裕を持った社員になりたいですね。
NASU代表 前田高志へインタビュー
———では前田さんに伺います。むらちに期待するものは?
前田:めちゃくちゃストイックで、それに加えてアスリートならではのさわやかさも持っていて、嫌味臭みがまったくないよね。「会社の公式X(旧Twitter)にもっと力を入れます!」って言ったときには、みんなざわざわしたと思うけど。
———むらちが頑張れば頑張るほどNASUがみんなざわつく感じはありますね。
前田:いい意味でのざわざわ。きっとよくなるんだろうなっていう期待感があるということ。
デザインに関してはもちろん課題はあるよ。なぜデザインのスキルがもっと必要かというと、企画ができる人は結構いても企画とデザイン両方ができる人はあまりいないから。僕ぐらいしかいないので!
———そう思います(笑)。
前田:僕はもっと企画の仕事を取っていきたいと思っているし、むらちにはその企画力があるから、デザインをさらに磨けばできることが広がるというのが見えるよ。
〈 文=奥村佳奈子 (@KANA_vintage)/ 編集=浜田綾(@hamadaaya914)中山乃愛(@noa_liriope)/撮影・バナーデザイン=小賀雪陽( @KOGAYUKIHARU)〉