アートとデザインは見た目が1割!? 【対談:Nice to Meet you】末永幸歩×前田高志
デザインは、“見た目”が大切。かっこいい、きれい、かわいい、面白い……パッと見で意図した印象を与えられたら、一つの成功と言えます。ただ、それがすべてではありません。デザインによって目的を達成できたかどうか。ここにデザインの真価があります。
アートにも似た側面があります。歴史に名を残すアート作品は、見た目が良いとは限りません。実は、制作に至るまでにストーリーがあり、そのアート作品によって世の中に新しい価値観や物事の見方を提示したからこそ、今に語り継がれています。
デザインとアート。根底で目指す先は違えど、どちらも何かを生み出すときには、作り手の“思考”があります。世の中を動かすクリエイティブやアート作品はどのような思考から生まれるのか。
今回はいわば、アーティストとデザイナーの頭の中をのぞく対談です。『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』の著者で美術教師の末永 幸歩氏と、デザイナー・前田高志が、デザインとアートの思考を解剖します。
※本対談は、6月29日に青山ブックセンターで開催されたトークイベント【nice to meet you企画「はじめまして、末永さん。はじめまして、前田さん。~デザインとアートの思考はどう違う?~」】を再構成したものです。
末永幸歩さん(写真右)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』著者 東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。中学・高校の美術教師とを経て、現在は、東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、教育機関での出張授業や、大人向けのセミナーなどを行っている。
前田高志
デザイナー/株式会社NASU代表取締役/ 株式会社VIEW代表取締役/前田デザイン室室長
アートとデザインの違いは“目的”に向かうか否か
前田:著書を読んで、ずっとお会いしたいと思っていました。今日はよろしくお願いします。
末永:こちらこそよろしくお願いします。『勝てるデザイン』を拝読して、私も楽しみにしていました。
前田:今回は、アートとデザインについてお話していこうと思います。末永さんは『13歳からのアート思考』で、アートを植物に例えて説明されていましたね。めちゃくちゃ分かりやすかったです。
末永:ありがとうございます。自分が気になったこと、言わば“興味のタネ”を掘り下げ、“探究の根”を伸ばしていく。この考え方を「アート思考」と定義しています。作品は“表現の花”と呼んでいて、タネを育てるなかで花開くものだと考えています。
前田:僕はアートの定義についてこれまでずっと考えてきました。暫定的な答えも導き出していたのですが、末永さんの本を読んでみて、定義を言語化できていないなと感じています。ただ一つ思うのは、作品というアウトプットがすべてではないということ。自分なりのテーマを持って、色々な選択肢を考えたり、手段自体を生み出すことに意味があると考えています。でも、職業病的につい、花の出来は気にしちゃいます(苦笑)。
末永:誰しも美しい花には目が向いちゃいますよね。ただし、作り手として作品をつくること自体が目的になってしまうと、アート活動の趣旨からは逸れてしまいます。本来、大事なのは根を張り続けることなんです。
前田:それはデザインにも共通する部分があります。デザインは文字の組み方で9割の印象が決まりますが、ある程度の技術と知識があれば、何となく見た目が良い文字組みはできてしまうんです。デザイナーであれば、見た目が良いデザインをできるのは大前提で、大切なのは残りの1割。叶えたかった目的を達成してこそ、価値あるデザインと言えます。何のためにやるかを大切にするのは、デザインもアートも同じですよね。
末永:そうですね。“真のアーティスト”は、自分なりのものの見方で物事を捉えて、自分なりの探究を続ける人だと考えています。それとは対照的に、他者から与えられた課題に対して見栄えのよいアウトプットを出すことばかりに集中している人は“花職人”と呼んでいます。もちろん、「100%アーティスト」「100%花職人」という人はいなくて、個人のなかにも双方の側面があるはずですが、自分にとってのベストバランスに向き合うことは大切にするべきだと思います。
前田:こうして考えるとアートとデザインとで似ている部分もあるものの、異なる活動ではあります。末永さんはアートとデザインの違いをどう考えていますか。
末永:私は、課題の有無が一番の違いだと思っています。デザインは、最初に何らかの課題があって、それを解消しようとする。アートは、最初に課題もビジョンもなく、何気ない疑問や引っかかりから始まります。課題解決という一つの目的に向かっていくわけではないんです。
前田:なるほど、確かにそうですね。デザインとは、目的のために選択肢を広げて、最適な手段を選ぶ行為だと僕は定義しています。なので、課題解決も目的の一つなんですけど、その物事の価値を意味付ける“意味のデザイン”もあります。定義としては、アートは探究自体に、デザインは目的を達成することに重きを置くのが違いと言えそうですね。
クリエイターの真価は、思考の軌跡に現れる
前田:末永さんが提唱するアート思考とは相反するように、日本の美術教育は、知識と技術に偏重していますよね。
末永:そうなんです。子どものころは自由な発想でアート活動ができるのに、中学生を境に知識や技術で評価されるようになり、苦手意識が芽生えてしまう子が増えてしまっています。それがすごくもったいないなと思っています。
前田:美術という科目名もミスリードかもしれませんね。美しいことが良いかのように印象づけてしまっていますから。
末永:それはあるかもしれません。だから私の授業では、アートの楽しさを感じてもらうために、作品ができるまでの過程の方に重きを置いています。つくる過程でどんなことを考えているか。生徒には考えの変遷を残してもらい、最後に全体を振り返って考察してもらうんです。
前田:その過程を見て評価をするわけですね。先生としては、どう評価していいか悩ましいんじゃないですか?
末永:はい、ものすごく難しいです(苦笑)。先生に見せるための記録になってしまうと趣旨がブレてしまうので、生徒たちには自分のために書くものだと強調しています。そのうえで重点的に見るのは、最後の考察部分ですかね。生徒が自分なりに考えを整理し、どう作品に行き着いたかを見ています。
前田:それは、僕がデザイン案を考えるときにも似ていますね。クライアントに提案するときには、過程も含めてすべて説明するようにしているんです。
末永:『勝てるデザイン』では、アイデアをまとめる段階からIllustratorで1枚のビジュアルにすると書かれていましたよね。私の授業でも、最後の考察部分は1枚のビジュアルにまとめてもらうのも良いかなって思いました。
前田:自分の考えを整理するのにもちょうどいいんです。それに、クライアントにとっても、いきなりデザイン案だけを見せられても、「なぜそれがベストなの?」って思いますよね。どんなに多くのパターンを試した末の結論でも、伝わらなければ意味がない。だったら、思考の軌跡をすべて見せた方が、そのデザイン案を推す意図も伝わるはずです。最適な選択肢を選び抜くのがプロのデザイナーの仕事である以上、クリエイターの真価は思考の軌跡にこそ現れると思っています。思考の過程を形に残すのは、デザインの価値を伝えるうえでも大きな意味を持っているんです。
目的も手段も自ら決める。“自分だけの見方”をつくるのがアート
末永:アウトプットに至るまでの過程を重視することに関連して、アートとデザインには大きな共通点があると思っています。それは、“自分ごと化”するのが大切だということです。
前田:確かにそうですね。自分の考えを整理することで前に進めますから。
末永:『勝てるデザイン』でも、前田さんが自分ごと化の大切さを強調されていましたよね。アートの起点になる興味のタネも、自分ごと化から見つかるものなんです。著書を読んだ限りでは、前田さんは「どうしたらもっと面白くなるだろう」という観点ですぐに探究を始められる方だとお見受けしています。
前田:その見立ては正しいですね(笑)。同じことを繰り返していれば退屈になったり、苦手なことをやらなければならないときは後ろ向きになってしまうので、どうしたら面白くなるかはつい考えちゃいますね。
僕は「つまらない仕事はこの世にない」と思っています。誰も見ていないであろう露出が小さい仕事や堅苦しい決まりきった仕事も、面白く変えてきました。そのために意識してきたことが一つあります。「常に〝童心〟を持つ」ということです。
『勝てるデザイン』前田高志著(幻冬舎) より
末永:アートでも本来は、前田さんのように自分なりの見方をもって取り組むべきなんです。私は授業で、「クレヨンと紙で自由に絵を描く」という課題を出すことがあります。この課題では、クレヨンと紙の使い方をつくりだすことから始めるんです。もっと言えば、たとえば「花」や「太陽」といった「イメージ」を描くことを目的にしなくたっていいわけです。
前田:なるほど、アプローチも視点そのものも自分で考えて創ってみるということですね。
末永:はい。実際にこの課題を出してみたら、ある生徒は「クレヨンで塗る感覚」を楽しんでいました。クレヨンが小さくなるまで、休み時間もずっと塗り続けていたんです。作品を見ただけでは分からないかもしれませんけど、いずれも自分ごと化してアートに取り組んだ例ですね。
前田:アプローチ自体がアートになることもあるわけですね。僕は今、自分のオンラインコミュニティ「前田デザイン室」で「ぬけだ荘」というプロジェクトをやっています。それぞれの悩みとかコンプレックスとか、モヤモヤしていることをシェアして、アドバイスし合うんです。みんなで集まるとユニークな解決策が出てくるんですよ。例えば、三日坊主の解決策として、100このことを一気に始めて、3日経っても続いてしまったことを続けたら解消できるよねとか。こうやって悩みの解決方法をつくるのも、一種のアートだと個人的には思っています。
末永:面白いプロジェクトですね。自分ごと化とは、言い換えるならば自分なりの見方で物事を捉えること。自分ならではの見方にこそ価値があるんです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、美術史上で初めて科学的に物事を捉えたからアーティストとして評価されています。例えば、デッサンの授業では、科学的に構造を理解して写実的に描くことが求められますが、これって「ダ・ヴィンチ的なものの見方」でしかないんですよね。
本来、ものの見方とは「写生」だけではありません。心を通してみてみたり、感覚を通してみてみたりと多様な捉え方があります。このように、ものの見方自体をつくり出すことがアートだと考えています。
考え、悩む時間もアートの一部。自分だけの答えはその先に
前田:頭でアート思考を理解していても、いざ興味のタネを見つけようと意気込むと、なかなか見つからないこともありそうですよね。
末永:そうですね。アートと言うと、好きを見つけて究めるというイメージを持たれがちなんですが、必ずしもそんなポジティブな思いが起点じゃなくてもいいんです。むしろ、疑問に思ったり、嫌だと感じたりとか、“違和感”に目を向ける方が興味のタネは見つけやすいです。
前田:むしろネガティブなところから入ると。それいいですね。
末永:ネガティブな感情って、頭から離れませんよね。それほどに、好きという気持ちよりも強烈なんです。自分が感じた違和感を突き詰めていくと、その先に好きなものが見つかります。
前田:僕は、好き=フェチと呼んでいるんですけど、自分のフェチが明確になったのは割と最近ですね。あるとき自分のアウトプットを振り返ったときに、傾向があることにふと気が付いて、無意識に働いている自分の趣味・思考、アイデンティティが見えてきました。
末永:前田さんのように、アウトプットから気付くこともあると思います。『勝てるデザイン』でも、思考と造形の往復について書かれていましたよね。
前田:そうですね。コンセプトから考えてイマイチなときは、形から入って意味付けを考えることもあります。その時々で思考から始めるか、造形から始めるかを使い分けていますね。
末永:アートでも、作品から気付くことがあります。この本のタイトルにある「アート思考」という言葉は、編集者の方が付けてくれました。元々、いつか自分の授業を本にできたらと思い立って、勝手にプロトタイプをつくっていて、その原案は『ものの見方が広がる アートの授業』だったんです。
前田:すごい! 表紙から中身まで完全にできあがっているじゃないですか。
末永:デザイナーさんに見せるのはお恥ずかしいんですが(笑)、Wordでつくりました。縁あって編集担当の方がこの原案を読んで、面白いと思ってくださり、出版につながりました。だから、私にとっては、この本も、アート思考も、自分なりにアートと教育という興味のタネを育て続けて、咲いた花の一つでもあるんです。
前田:僕も全く一緒ですね。編集者の方に本のタイトルを付けてもらって、自分が勝てるデザインをしてきたんだと気付くことができました。でも、これで終わりじゃなくて、僕なりにフェチを広げながら追求していくつもりです。
末永:新しいタネを見つけるのも楽しいですからね。私も授業では、完成した作品と対話して、そこから新しい根を探して探究するというサイクルが生まれるよう意識しています。
前田:ちなみに、末永さん自身は、これからもアート思考の教育という根を育て続けるんですか?
末永:このタネも育てながら、新しいタネは模索します。この本を出した当初はたくさんの人にアート思考を届けなきゃと意気込んだりもしました。でも、自分が感じる違和感には正直に、新しいタネが見つかったら育てていきます。それがアート思考なので。今は、1歳になる子どもの挙動に興味津々で、新しいタネが見つかる予感もしています(笑)。
前田:興味のタネは意外と身近にあるかもしれませんね。
末永:そう思います。私は大学院にいたころ、作品をどんどんつくって、個展をする人たちを羨んでいた時期もありました。自分にとってアートって何なんだろうとモヤモヤしていたときに、ある先生に「模索している時間もアートの一部だから」と言ってもらって、パッと視界が開けたんです。アート思考によって、自分なりの見方ができると気持ちが楽になったり、前に進むきっかけになるかもしれません。
前田:考えたり、悩んだりする時間も無駄じゃない。大切なのは、自分だけの答えを見つけることですね。僕もそのためのアプローチの一つとして、アート思考を実践したいと思います。今日はありがとうございました。
(終)
〈文=木村涼 (@riokimakbn)/ 編集=浜田綾(@hamadaaya914)/ 撮影=ただの ちひろ(@chihiro146)/ バナーデザイン=小野幸裕(@yuttan_dn52)〉